魂の旅、食と誰かと、時々珈琲。

人生は旅。食と珈琲を好んでいる一介の主婦が日々を綴ります。

朝早く起きて/一杯の珈琲を飲みながら

 昨日は11時半には床についていたと思う。しばらくツイッタースマホで眺めていたが、何も呟くこともないし、「おやすみ」という気もなくなってしまいそのまま眠ってしまった。今日起きたのはきっかり5時。夫が起きるのは6時半だから私もそれくらいまで寝てしまっても良かったのだが、目が何故か冴えてしまった。せっかくだからと、私は珈琲を落として飲むことにした。

 昨日も触れたけれど、私の夫はブログを書いている。それをいちからよくよく読んでみることにした。そこで私は彼の真意を決定付ける文章を見つけることになる。

しかし、およそ他のウェブログと異なっているのは、それが備忘録というよりむしろ忘却を前提としたものであるということだ。  

 彼は加齢に従って、物事を覚えおくことの困難さを感じているのかもしれない。けれど、「忘却」を前提ともなると、思い出にも残さないつもりなのだろうか、と、私は戸惑う。

すべては過ぎ去ってしまった。また幾たびかその一部に会うこともあるかもしれないが、ほとんどは失われて、もはや還ることもないのだ

 思えば、と、珈琲をすすりながら思ってみる。私と彼が人生の航路を共にしてもう13年になる。子供ができていれば中学生になるかならないかだろう、それくらいの時間を共に過ごしている。その中で私は彼に様々な場所に連れて行ってもらった。私の気性のせいで楽しめなかった場所もあれば、私の好みが合致して楽しめた場所もあった。もちろん彼が好んで行っていた場所も私は好きになっていたし通いつめていた。東京都葛飾区の立石商店街なんてその一例だろう。

 私は彼はどこか寂れた、しかしにぎやかな場所が好きなんだと思っている。そういった場所が、再開発でどんどんなくなっていくという。なんと悲しいことだろうか。新しい記憶で古い記憶が消されていってしまう。それはいいことなのだろうか?

 常連客のタバコのヤニと材料を焼くときに出る脂が染み付いた壁、真っ黒になった換気扇。並んで座らされる一見不便そうな客の配置、その中で一時的に生まれる人情がこもった交流……。私はいつか忘れてしまうのだろうか。あの店がなくなってしまったら、私は忘れてしまうのであろうか。

tomijisan.hatenablog.com