いろいろ書いてみようかな?

何の変哲もない一介の主婦が、日頃気になっている事とか思っている事とかを書いていきます。

人とアロマの歴史・その2~アロマテラピー~

 

 前のエントリーでは植物の力を発見した古代の人類がどのようにそれを利用していたかを説明しました。それではその時代からまた進んでからの古代における香りに関する文化はいったいどのようなものだったのでしょうか。

古代ギリシャ・ローマ自体の偉大な祖たち
 古代ギリシャにおいて、病気をそれまでの呪術的な手法から科学的にとらえて、現代にも通じる医学の基礎を築いたのが、“医学の祖”と呼ばれるヒポクラテスです。彼の考えは『ヒポクラテス全集』に書かれています。
 その後、哲学者でアリストテレスの弟子であったテオフラストス(紀元前373~287)が植物の研究を行って『植物誌』を著し、“植物学の祖”といわれるようになります。
 皇帝ネロ(37~68、在位54~68)の統治下にあったローマ帝国の軍医・ディオスコリデス(40~90)は、各地を旅して薬物を研究し、『マテリア・メディカ(薬物誌、ギリシア本草とも)』を著しました。植物だけで600種、全体では1000項目におよぶ薬物を、植物・動物・鉱物に分け、薬理・機能上から分類したこの本は、近代に至るまで、千数百年もの長きにわたって広く利用されることになりました。
 古代ローマの博物誌家であったプリニウス(23~79)は、77年に『博物誌』全37巻を著しました。これは人類初の百科事典ともいえる大規模な自然誌で、今なお博物学・自然学の聖典として読み継がれています。
 古代の医学を集大成で、以後17世紀にいたるまでの西洋における医学の基礎を作ったのが、ギリシャのガレノス(129~199)です。かれはヒポクラテス医学を基に、自らの解剖学的知見と哲学的理論によって、医学を体系的な学問へと発展させました。猿や豚など動物の解剖によって体内の構造や生理機能を研究したのです。脳・心臓・肝臓を生命活動の中枢であると考えるなど、生理学・病理学的にも大きな業績を残し、アラビア医学にも絶大な影響を与えています。

□ローマの公衆大浴場
 皇帝ネロはバラ好きで有名で、バラの香油を体に塗らせたり、部屋をバラの香りで満たしたりしていたといわれています。そのころのローマでは、火災を防ぐために集合住宅における浴室の設置が禁止されていました。そのかわりに一般市民は公共浴場を利用していたといいます。そして、公共浴場は社交場や娯楽施設としての役割を担い、216年に完成したカラカラの大浴場では浴場内で香油が使われていたといわれています。このようにローマ時代の人々は、皇帝から一般市民にいたるまで香りを楽しんでいたのです。

□東西ハーブの交流
 マケドニアの王アレキサンダー大王(アレクサンドロス3世、紀元前356~323、在位336~323)は19歳で即位すると、その2年後には東方遠征を始め、アケメネス朝ペルシア帝国を滅ぼし、10年で中央アジア、インド北西部にまでいたる広大な世界帝国を築くことを実現しました。大王自身は志半ばにして32歳でこの世を去りましたが、彼の東方遠征をきっかけに東西にかけて活発な交流が起こり、ギリシャとオリエント文化が融合したヘレニズム文化と呼ばれる豊かな文化が生まれました。このころから東西のハーブや香辛料が、交易品として盛んに取引されるようになりました。

 

参考文献
 ・ひとりで学べるアロマテラピー検定試験1級2級テキスト&問題集
  /村上志緒・門間充衣子監修・ナツメ社

 

 アロマテラピーのテキストを参考にしたので、医学的な歴史も含まれています。ローマ帝国の軍医が600種の植物について記していたというのは驚きです。やはり植物には人間を魅せるものがあるのでしょうね。

 クレオパトラも皇帝ネロもバラが大好きだったんですね、クレオパトラはともかく、ネロは意外でした。そしてネロが統治していたローマの一般市民も香りを楽しんでいたのもこれまた意外です。

 領地争いが元で文化が生まれたり、品物が流通するルートが生まれたりするのはよくあることだったようですが、ハーブもこれにもれず、といったところでしょうか。他文化から来たハーブを楽しんだりしていたのでしょうね。

 

 

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